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仙台のイルミネーション

仙台のイルミネーションを見ました。

「SENDAI光のページェント」が12月6日、仙台市青葉区の定禅寺通りで始まりました。今年で30回目を迎えたそうです。
たまたま、仙台で仕事をしていて帰る日の夕方が点灯式だというので、時間を伸ばしてみることにしました

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5時半の点灯式には間に合いませんでしたが、7時に鐘の音と共に暗闇の世界になりました。再点灯する「スターライトウインク」というイベントがありました。

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息を呑んで点灯を待っていると、一気に点灯しました。拍手と共に大きな歓声が湧き起こり、やがて深い感動のため息になりました。

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160本の欅に60万個のLED 電球が輝きオレンジ色の世界を満喫しました。
友達と連れ添いながら、光の回廊を歩き、光の洪水を浴びました。
周りのビルのまどまどに、光のえだえだが映り桜とみまがう美しさでした。

60万個の電球の中に一つだけピンクの電球があり、それを見つけたら幸せになれると聞いたので、早速探すことにしました。
しばらく行くと、上空を仰いでいる一団を見つけました。近づいてみるとその木のどこかにあるらしいのだが、なかなか見つかりません。
見えている人が、さし示す指先を見るのだが見えません。首が疲れて諦めて帰りかけた時、見つけました。一つだけ美しいピンクに輝く光を見つけて、すっかり幸せ気分になりました。仙台のイルミネーションありがとうございました。

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トヨ子

2014年度GNJのフアシリテーター養成コース 終了

2014年度GNJのフアシリテーター養成コース 終了

2015年9月19日~9月21日 養成コース恒例の合宿研修が、メロディアンあざみ野で行われた。日本全土を襲撃した豪雨は、嘘のように晴れ渡った三日間だった。
六階の研修会場の窓外に広がる眺望は、街並みの遠くに富士と丹沢連山を配し、一大パノラマスペクタクル。我々を日ごろのしがらみから一気に解放させた。

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初日は二つのグループに分かれてCFO 体験。四十二畳の部屋を、パネルで仕切り二つに分けた。隣の物音は全く聞こえず、防音装置が完備していることに驚いた。七、八人のグループの中でフアシリテーター体験をすることに、各自が積極的に取り組んだ。
人の奥底に長い間、意識されずにいた記憶がよみがえり、そのピユアな感情にふれたとき、感動の波がゲシュタルトの場を揺るがした。

中日(なかび)(なかび)の夕食は懇親会を兼ねているので、懐石風の和食でご馳走だった。食うほどに飲むほどに、酔いが回り、心身を開放し誰かさんの、網タイツの話で盛り上がった。アルコールセラピーでは、思いがけず人の新しい側面を発見することがしばしばある。

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三日目は、シゲさんのご指導で毎回恒例のエクササエズを行った。絵を描くことを通して「提供された作品を受容したり、拒否したりする体験」。
先ず、五、六人のグループを決める。始めに今の自分の身体感覚を画用紙に書いて、2~3分ごとに隣へ絵を回す。回された絵に自分の感覚を書き込んでいく。グループの手を経て自分に戻った時は、最初に意図したものではなく、新しい作品になっている。落胆したり、見事な出来栄えに感動したり、久しぶりに童心が掻き立てられた。最後に絵にタイトルを付けて、関わった仲間の名前を書いた。全体で絵の紹介とシエアをした。我がグループが最高!!とそれぞれにシュプレヒコール。
養成コースが終了しても、ゲシュタルトは終わりではない。日々の生活の中にあるのだからいつでも、どこでも研鑽できる。すでに何人かの人は、勉強のグループを立ち上げた。開業した人もいる。今後の一層の活躍を期待する。

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渡辺 トヨ子

リン・ジェイコブス(Lynne Jacobs)博士のワークショップと基調講演に参加して 

(2015年7月18日(土)に日本ゲシュタルト療法学会学術大会のリン・ジェイコブス(Lynne Jacobs)博士のワークショップと基調講演に参加しました。)

リンのお話は、ひとこと、ひとこと、身に染みるものがあった。

# どこにゲシュタルト療法と(我―汝)の接点があるか。
私は、ゲシュタルト療法と(我―汝)の統合を書いた。
人間は周りの環境から分離しては生きられない。その人間を理解しようとしたら、その人の環境を理解する必要がある。ブーバーは二つの方法を提示した。

(我―それ)
(我―汝)の二つである。

(我―汝)ばかりにフォーカスするのは間違い。
(我―それ)も同じく大切である。

(我―それ)なくては生きることが出来ない。
(我―汝)なくては「人間であること」が出来ない。

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# まず、具体的に(我―それ)の関係について説明した。
今、この瞬間、リンがレクチャーをしている状況は(我―それ)の関係である。
今、リンはある種の考え方にそって関わっていて、魂どうしで関わっていない。
世界の中で生きていくには、(我―それ)の関わりなくしては生きていけない。
アメリカから東京に来るまでのリンの行程は、まさしく(我―それ)の関わりである。

補足 (われ―それ)は「もの」の世界
「それ」と呼びかけた「われ」は、(われ―それ)の世界を生きる「われ」となる。
(われ―それ)の世界を生きるということは、「それ」と呼びかけた「われ」もまた「それ」の存在になるということである。(われ―それ)の「それ」は実体化、物質化、対象化、分別化、固定化、分断化、された「もの」である。対象を「もの」にしてしまうということは私もまた「もの」になるということである。他者を「もの」にして扱うということは、私もまた「もの」になる。  「我と汝」を読む 志慶眞文雄より

# 対話は(我―それ)が行ったり来たりして、(我―汝)の瞬間は少ないとブーバーが言っていた。インクルージョンが起きた一瞬に(我―汝)の関係に入る。リンは○○のワークの後のシェアで○○が心を打たれたとき、リンの心も動いた。波が二人を連れていくような感じであったといった。このとき、ブーバーの言う出会いがあったと私は推察した。ブーバーは患者を動かすのではなく、出会うことだといっている。魂と魂の出会いである。

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補足 (われ―なんじ)は「関係性」の世界
(われ―なんじ)の「われ」は「なんじ」という呼びかけが聞こえた「われ」である。そしてその「われ」もまた「なんじ」と呼びかける存在である。「なんじ」と呼びかけられた「われ」と「なんじ」と呼びかける「われ」は「われーなんじ」の広い真実の世界を生きる。「われ」である。  「我と汝」を読む より

注  文章の中の患者というのはクライアントのことである。
   リンはクライアントと呼ばれたくないと言っている。
   患者とは、ラテン語で苦しむ人という意である。

by トヨ子

紫陽花を見に行きました。

紫陽花を見に行きました。

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梅雨便りがあちこちで聞かれるようになって、紫陽花が見たくなった。
久しぶりに、いや三十年ぶりに白山神社を尋ねた。

都営地下鉄線白山駅を降りた。

見慣れた町の風景が飛び込んできて、一気に三十年前の光景が蘇って来た。
私はその当時ローテーションで書記官研修所に通っていた。
近くに私の行きつけのパスタ屋があったのを思い出し、今日のランチはそこと決めて尋ねたが、ラーメン屋になっていた。とても残念である。食べられないと思ったらなおさら食べたくなった。

生き造りの透明な烏賊を細く切って、パスタの上に盛り付けるのである。
一見、真っ白いパスタである。添えの野菜は紫蘇の千切りでこれもかなりの量である。
烏賊のコリコリ感と紫蘇の香りで、私はほとんどやみつきになっていた。その後、透明な烏賊刺しのパスタに出会ったことはない。

数分で白山神社についた。

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文教あじさいまつりの垂れ幕があり、あじさい色の提灯が宙に張り巡らされていた。
人は三々五々と少ない。実は祭りは明日からである。
私は、人のいない静かな紫陽花を味わいたくて前日にきたのである。

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咲き初みて雲を誘う手毬花    

紫陽花に囲まれた白山神社の空は、もはや曇っていた。
私は太陽の日ざしの中よりも、曇りやそぼ降る雨の中の紫陽花がより好きである。
様々な色があり、一見とても華やかであるが、丸い花びらの奥に哀しみの色があるような気がしてならない。

二匹の狛犬が紫陽花に埋もれていた。

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あ、うんの口の表情をした狛犬は二匹で一体となって、神社を守るのである。
いつもの狛犬は、厳しく怖い感じである。が今日の狛犬はどこか滑稽である。
紫陽花に囲まれ、ウキウキしているのかとも見えるのだが、紫陽花の別名である七変化に囲まれていると考えると、狛犬もおちおち油断をしていられない心境なのかもしれない。

阿吽の狛犬かこむ七変化     

トヨ子

池上本門寺参詣そして盆栽菊の先生と出会う。

うららかな秋日和に誘われて池上本門寺を参詣する。

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池上線の池上駅で下車。駅前の賑やかな通りを抜けて霊山橋を渡ると池上本門寺に着く。
総門をくぐり75段の階段を上ると、そこは広大な境内で秀麗な赤門が建っている。
思わずカメラを構えて写真を撮る。
大きな桜の木だからパワーがいただけますねと、北海道から来たと言う女性が話しかけてきた。
力道山のお墓があるのですが一緒に行きませんか、ね、ね、パワーが貰いますよ。
いやはや・・・私は俳句の句材を探し始めていたので丁寧にお断りをする。

境内では菊花展の開催中。よしず囲いの中に入る。
一本仕立ての菊、懸崖菊、盆栽菊が勢ぞろいして見事です。
菊花展は開催したばかりで開花は今一です。
佇まいのいい盆栽菊を写真に収めて菊花展を後にする。
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白菊の直ぐなるものに寄りがたし  

本堂に参拝する。
日蓮聖人が今から七百十数年前、61歳で入滅された霊跡だそうです。
大きな銅像の日蓮大聖人説法像もお参りする。

境内にあるお休みどころで昼食。
冷やし茶蕎麦とビールを注文。
緑色の茶蕎麦は滑らかでこしがある。海老天、茄子天 、椎茸、 なめたけ、 
若布、トマト、なると、 胡瓜、 ねぎ、 わさびの一品、一品を丁寧に心をこめて味わう。
丁寧に味わうことはとても大切なことです。新しい発見があり物への感謝も生まれます。
坐禅を始めてから一点集中が少しは日常に生かされているのかもしれない。
とくに、歩く禅は行動の一つ一つの動作を感じ確認させられる。ゆっくりゆっくり歩く。
上げる、離す、運ぶ、下ろす、着ける、移す、乗る、・・・これは一歩の足の行動を
言葉にしたものです。7つの言葉を心で唱えながら踵を上げて前に足を下ろします。
その瞬間、瞬間の気づきに気づくことに集中します。まるでゲシュタルトの気づきの瞬間です。

さてお腹もいっぱいになったので帰ることにする。
本堂の境内に向かって歩いていくとなにやら音が聞こえてきます。
パチン、パチン、パチンと軽やかな音です。
そこには男性が一人菊に向かってなにやら手を動かしています。

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彼は私の気配に気づいて振り返り、またすぐに手を動かします。
見させていただいていいですかというとこっくり頷く。
しばらくして何をしているのか訊ねると針金を切っているという。
よく見ると菊の枝、枝に巻かれている針金を切っているのです。
この盆栽、どこかで見たような気がする。
アレ!私が菊花展の会場で撮った盆栽菊と同じものではないかしら?
お邪魔してはいけないと思いながら思い切って訊ねてみました。
この盆栽菊は同じものですか?と写真を見せたら、すかさず僕のですとびっくり顔。
私が一番いいと思ってシャッターをきりましたというと、彼はにこやかに、
そして饒舌になり僕の作品は他にもありますといって展示会場に案内してくれた。

周りにいる人たちが先生今日は一票入りましたねと声を掛けた。
すかさず私は十票入れますというと和やかな笑いが会場にあふれた。
彼の説明によると、盆栽の菊は一年毎の作品で、その間3~4回針金を巻き変えて
自分のイメージの盆栽に育て上げる。出品する時に針金を切り容姿を整えるのだそうです。
目から鱗です。松や楓の盆栽の樹齢は何十年何百年ですから
それと同じように年数を経ているものと信じていた。
それにしてもこの古風な佇まいを一年で仕上げるとは信じがたい。
今日盆栽菊の先生に出会い新しい知識を得、一層菊への親しみを感じた。
先生と同じ、多摩の景勝という名の黄色い小菊を買って帰った。
もちろん先生が選んだ容姿のいいものを。

今日はいい菊日和でした。

2012 10 31  トヨ子

プロフィール

gnj

Author:gnj
こんにちは、ゲシュタルト療法のワークショップを開催しているNPO法人ゲシュタルトネットワークジャパンです。
ゲシュタルト療法の「今-ここ」の「気づき」は、いきいきと自分らしく生きるエネルギーを活性させます。ひとりひとり違うonly oneの大切な存在である互いを認め合いながら、家庭で、学校で、職場で、地域で、世界中で、つながりあっていく社会を実現したいと思っています。

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