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GNJの生みの親 ポーラの没後10年

ポーラは、ニューメキシコ大学で1965年に哲学博士を取得し、同年31歳の時エサ
レン研究所でフレデリック・パールズのゲシュタルト療法を体験しました。
翌1966年にはゲシュタルト療法のトレーニングを受けました。
1969年からサンフランシスコ・ゲシュタルト研究所でゲシュタルト療法を指導し、
1983年から1985年の2年間、同研究所の所長を務めました。
そして、1985年9月にポーラは、51歳で来日しました。

当時は、リッキー・ウルフ女史の呼びかけに応じて、東京ゲシュタルト研究所でワーク
ショップを指導しました。
翌年1986年に、東京大学心療内科石川中氏等と行動を共にし、その後、GNPRという団体を立ち上げました。
1992年には第1回ゲシュタルト・トレーニングコースを開催しました。
トレーニングコース終了後はアドバンスコースとして、夏には青木湖周辺の山荘や女神山の山荘、飛騨高山国府田のあぶらむの宿(写真:あぶらむにて)などで合宿をし、ファシリテーターのトレーニングを重ねました。
あぶらむ
青木湖の山荘では、ポーラは夢のワークをし、河のうねりとなり滔々と流れながら、「この河はゲシュタルトの流れです。次はあなた達の番です。」と微笑みつつ、私達一人ひとりに水を掛けてくれました。わたしは「ピシャッ!」と胸に水が掛かったのを感じ、ヒンヤリとしました。

2000年8月にはサンフランシスコのセイブルック大学院大学を会場に、オハラ教授の協力で、アメリカ、カナダ、日本、香港のメンバーの40~50人の参加を得て、ゲシュタルト大会を開催しました。
日本からは、GNPRの東京、大阪みどり会、群馬県、石川・富山県、福岡県のメンバーが参加しました。
私たちは帰国してワークショップの中で、サンフランシスコ大会の興奮を語り合っていた時に、ポーラは9月頃から、腰から脚の痛みを訴え始めていました。東洋医学を好み、求めて針治療を受けていましたが、回復の兆しが見られないため、アメリカで総合的な検査をしたところリンパ腫であると分かりました。帰国し、総合的な治療を受け始めました。
私たちメンバーは、ポーラの復帰を信じて祈って、手紙やメールを送り、お見舞いにも行きました。
2001年9月10日の深夜、ポーラは天に召されました。翌朝11日は世界を揺るがすツインタワーの崩壊でした。
今年は、ポーラ・バトムの10回忌です。

 あなたの弟子達はGNJを立ち上げて
 あなたが私達に示してくれた
 クライエント・センタードのゲシュタルト療法を実践し広めています。
 あなたが天から見ていてくださる中で
 ゲシュタルト療法の精神と人間の可能性への優しさを
 大切に身につけ受け継いでいきます。
 あなたが日本にもたらしたゲシュタルトの流れは
 途切れることなく流れつづけています。
 そして、流れの飛沫は岸辺のゲシュタルトに興味を持った一人ひとりの
 頭や顔・胸に飛び散っています。
 ゲシュタルト療法は素晴らしいです。
 私達に伝えてくださって感謝します。
 ありがとう。


田中幸治



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プロフィール

gnj

Author:gnj
こんにちは、ゲシュタルト療法のワークショップを開催しているNPO法人ゲシュタルトネットワークジャパンです。
ゲシュタルト療法の「今-ここ」の「気づき」は、いきいきと自分らしく生きるエネルギーを活性させます。ひとりひとり違うonly oneの大切な存在である互いを認め合いながら、家庭で、学校で、職場で、地域で、世界中で、つながりあっていく社会を実現したいと思っています。

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