40年越しの思い
葉子です。その昔、中学生だった私は稚内に住む同年の女の子と文通友だちになりました。
一度は彼女の生まれ育った稚内に行ってみたい…
そう思いながら40年以上もたってしまったのですけれど
おまけに現在彼女は神奈川県に住んでいるのですけれど
稚内に行ってみたい、その思いが今も消えずに私の中にあることに気づいて
ふと思い立って行ってきました。
調べる途中で稚内とサハリンを往復するフェリーの運航予定が目に留まりました。
サハリンまで5時間半かぁ…
ふとした思いつきが重なって稚内からサハリンまで足を延ばすことにしました。
稚内は人が少なく、静かな町でした。
日本最北端の宗谷岬も観光客はまばらで、とても静かでした。
駅や商店街の案内にはロシア語が併記されていて新鮮でした。
稚内を出港したフェリーは海上で国境を越えてコルサコフの港に到着します。
サハリンでは州都であるユジノサハリンスクに滞在しました。
日本時代に「豊原」と呼ばれていた都市で、日本時代の建物が今も点在しています。
物価が高いですが、街並みはきれいに整備され、治安も良く、人々は親切でした。
英語はほとんど通じません。
日本時代の豊原公園がそのままガガーリン記念文化公園になっています。
自然の豊かな素敵な場所で、朝な夕なにのんびり散歩を楽しみました。
サハリンではどこを歩いていても
ベビーカーや小さな子どもを連れた親子にたくさん会いました。
稚内の静けさとは対照的でした。
文通友だちの生まれ故郷を歩いてみたい…
40年越しの少女の頃の思いは
こうして日本の過疎化の現状を体験し、ロシアという異国に触れる旅になりました。
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